河合隼雄『ユングと心理療法』

〈カウンセリングや心理療法が注目を集めているいま、日本の第一人者が、その原点にあるユングの考えを紹介しながら、心理療法とは何かを、わかりやすく説く。心はなぜ病むのか、どうすれば癒えるのか… から、夢分析とは、箱庭療法とはどういうものか… まで、心の問題についてはもちろん、生き方を考えるヒントもちりばめられている!〉



 本書は、著者が学術誌その他に発表した論文をまとめたもので、内容的には専門家向きとのこと。上下2分冊で文庫化した上巻のみ読了。最近『無意識の構造』『コンプレックス』の2冊を続けて読んだためか、全体的には分かりやすく書かれているように感じた。単行本の刊行は1986年。

〈ユング派の方法/夢分析/箱庭療法/心理療法の原風景〉(目次)

 学校恐怖症だという患者の事例を紹介した第2章「夢分析」では、生活史・家族関係・現症歴の説明に始まり、全10回のカウンセリングで症状が改善するまでの経過が詳しく解説されている。報告された夢は全部で19。夢の内容と現実の状況が同調しつつ変化していく様子がよく分かる。

 第3章「箱庭療法」は箱庭療法の本質についての考察。実際の箱庭作品を写したスライドなどが1つもなかったのは少し残念だったが、箱庭療法が行われている水面下でどのような心の動きが生じているのかが解説されていて、それはそれで興味深い。

 その他、心理療法とイニシエーションの関係について述べた第4章「心理療法の原風景」後半の内容が気になった。現代の形骸化した成人式や結婚式のような制度ではない、もっと別の形式による新しいイニシエーション(通過儀礼)の必要性。

〈イニシエーションの元型的な様式が、われわれ近代人の無意識内に存在していることをユングは指摘する。そして、もはや制度としてのイニシエーションが消滅した今日において、ある個人がその成長の過程において、ある段階を越えて決定的な変化をとげようとするとき、無意識内のイニシエーションの元型が作用していることを認めたのである。〉

 最後に、これは他著でも触れられていることだが… 。生半可な知識や経験しかないのに、中途半端な覚悟と自分勝手な思い込みで、安易にカウンセリングや心理療法の真似事をすることが、非常に危険かつ有害だということは、肝に命じておかないといけない。



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河合隼雄『コンプレックス』(2017-07-24)
河合隼雄『無意識の構造』(2017-07-17)
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野坂昭如『戦争童話集』

〈焼跡にはじまる青春の喪失と解放の記憶。戦後を放浪しつづける著者が、戦争の悲惨な極限に生まれえた非現実の愛とその終りを《8月15日》に集約して描く万人のための、鎮魂の童話集。〉



 『アメリカひじき・火垂るの墓』に引き続き、今回も野坂昭如の戦争関連作品集。雑誌『婦人公論』(1971年1月号〜12月号)誌上で連載された12編の戦争童話を収録したもの。単行本は1975年刊行。
 童話集だからか、同じ戦争を扱った作品でも『アメリカひじき・火垂るの墓』とは違って、一つ一つしっかり句読点で区切られ文章で書かれており、読みやすく分かりやすい。そうはいっても、これはあくまでも戦争童話集。12編とも救いのない話ばかりで、悲しく切ない余韻があとを引く。

 〈昭和二十年、八月十五日〉という書き出しで始まるのが印象的。昭和20年8月15日は玉音放送が行われた日だけれど、日本の降伏と戦争の終結が公表されたからと言って、戦争の生み出した過酷な状況がすぐに消えてなくなるわけではない。
 各話に出てくる主人公たちは、男の子も女の子もお母さんも、少年兵も若い兵士も捕虜も、クジラも象も雌狼も、みんなみんな大抵ひとりぼっちで死んでいく。鳥や獣や虫が傍にいる場合もあるけれど、自分たちの過酷な状況が戦争によるものなどとは知る由もないまま死んでいく。

 はるか南の離れ小島の白く輝く砂浜に、少年特攻隊員の乗ったプロペラ機・通称「赤とんぼ」が不時着した。彼は「赤とんぼ」に一匹の小さな油虫を同乗させていた。特攻機に帰りの燃料などあるはずもなく、少年は油虫の餌になりそうなものを集めてやると、母親のいる北国を目指してひとり海へと泳ぎ出していく。

〈八月十五日
 南の島の、白い砂の上に、「赤とんぼ」がすわりこみ、そのして、その操縦席に、艶やかな肌の油虫が、長いひげをゆらゆらさせながら、しみついている少年の体臭をなつかしむように、うずくまっていました。〉




〔関連記事〕
野坂昭如『アメリカひじき・火垂るの墓』(2017-08-07)

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野坂昭如『アメリカひじき・火垂るの墓』

〈昭和20年9月21日、神戸・三宮駅構内で浮浪児の清太が死んだ。虱だらけの腹巻の中にあったドロップの缶。その缶を駅員が暗がりに投げると、栄養失調で死んだ四歳の妹、節子の白い骨がころげ、火垂るがあわただしくとびかった—浮浪児兄妹の餓死までを独自の文体で印象深く描いた『火垂るの墓』、そして『アメリカひじき』の直木賞受賞の二作をはじめ、著者の作家的原点を示す6編。〉



 「火垂るの墓」「アメリカひじき」「焼土層」「死児を育てる」「ラ・クンパルシータ」「プアボーイ」…以上、収録作品は全部で6編、解説込みで270ページほどの文庫本。単行本の刊行は昭和43年(1967)年。

 アニメ映画『火垂るの墓』を何度か観た程度で、野坂昭如の作品を読むのは今回が初めて。現在と過去が交互に描写される構成はむしろ読みやすかったけれど、句点が1つ2つ少ない独特の文体に慣れるには少々時間がかかった。

 戦中・戦後にかけて食糧難の続く時代、我が身にせまる〝飢え〟を前にして人の心は荒んでいく。それは必死に生きようとする命の強さなのかもしれないが、残酷で悲しいことには変わりない。
 救いのない話や遣るせない話を、美しくあるいは説教くさく飾り立てたりしないで、例の独特の文体で淡々と語っているせいか、じわじわと浸透してくるような迫力を感じた。

 6編とも話の内容を考えると、読後感がよろしいとはお世辞にも言えない。ただ、「ラ・クンパルシータ」「プアボーイ」の2作など、時折、物悲しくも軽く笑いを誘われる箇所が出てくるのが印象的だった。


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アーシュラ・K・ル=グイン『こわれた腕環 ゲド戦記2』

〈アースシー世界では、島々の間に争いが絶えない。青年ゲドは、平和をもたらすエレス・アクべの腕環を求めてアチュアンの墓所へおもむき、暗黒の地下迷宮を守る巫女の少女アルハと出会う。〉



 地下に大迷宮を抱いたアチュアンの墓所を守る大巫女には、代々、「喰らわれしもの」を意味する「アルハ」という名前が付けられる。大巫女の生まれ変わりとして育てられた「アルハ」は、その生き方に疑問を持たないようにしてきた。だが、魔法使いゲドと出会うことで広い世界を知り、不安と期待の間で揺れながらも自由を選び、それまで安住していた暗い世界から出て行く決意をする。

 「ゲド戦記」シリーズ第2巻『壊れた腕環』。本作の主人公はある1人の少女であって、ゲドは重要な役割を担っているが中盤まで出てこない。また、ゲドが魔法を使う場面はあるものの、必要最小限に抑えており、派手な描写は一切ない。そして、第1巻と同様、単純な勧善懲悪にはなっていない。…でも、これが面白いのだ!
 河合隼雄『ファンタジーを読む』で取り上げられていた1冊で、臨床心理学者の視点からの解説と共に、内容について詳しく紹介されていた。そのため物語の大まかな筋は知っていたが、いざ読み始めてみると、あっという間に引き込まれてしまった。

 清水真砂子による日本語訳は相変わらずきれいで、その端正で読みやすい文章は物語の持つ魅力を十二分に引き出している。例えば、主人公の少女の心境の変化とともに、彼女のゲドに対する葉遣いも少しずつ変化していくのだが、そういう微妙な言葉遣いの書き分けにも感心させられた。 
 また、これは男性である私の勝手な想像に過ぎないのかもしれないが、作者が女性だということも含めて、この少女の物語は女性の方がより深く理解する(あるいは感じる)ことができるのではないだろうか?初版の刊行は、原書が1971年、日本語版は1976年。



 少女の心の変化と物語の変化は同調していて、それは名前の変化としても表現されている。第1巻「影との戦い」でもそうだったが、名前というものの大切さ、そのことに対する作者の強い思いを感じさせられる。ちなみに、本作の8章には「名まえ」という題が付けられている。
 「アルハ」とは代々の大巫女に付けられる名前ではあっても、少女〝だけ〟の名前ではない。少女〝だけ〟の名前、真の名前「テナー」はゲドの口から彼女に伝えられることになる。物語の転換する8章から10章にかけて、本文における少女の呼称が「アルハ」から「少女」そして「テナー」へと変化していくのが印象的だ。

 また、本作を1人の少女がアイデンティティを獲得して自立していく物語として解釈するならば、暗くて静かな墓所の地下大迷宮は母親の胎内そのものであり、自立できていない少女にとっては安住の地でもある。少女がゲドと共に地下大迷宮を通過して広い海へ出て行くことは、胎児が産道を通って生まれ出ることをイメージさせられる。ゲドの言葉が強く響く。

「あんたは死なないよ。アルハが死ぬんだ。」
「でも…。」
「テナー、いいかい、生まれ変わるためには、人は死ななきゃならないんだ。しかし、それは、別の見方をもってすれば、さほど、むずかしいことではない。」



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アーシュラ・K・ル=グイン『影との戦い ゲド戦記1』(2017-06-19)

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河合隼雄『コンプレックス』

〈「コンプレックス」という言葉は日常的に用いられるが、その意味を正確に理解している人は少ない。それは、現代なお探検の可能性に満ちている未踏の領域、われわれの内界、無意識の世界の別名である。この言葉を最初に用いたユングの心理学にもとづいて、自我、ノイローゼ、夢、男性と女性、元型など、人間の深奥を解き明かす。〉



 「コンプレックス」という言葉を手元の『広辞苑』で引いてみると、2つの意味が挙げられている。1つは、私たちが普段から使っているような劣等感という意味。そしてもう1つは、それも含んだ心理学用語としての意味。もちろん、本書の題名である「コンプレックス」は後者の意味を指す。

〈無意識内に存在して、何らかの感情によって結合されている心的内容の集まりが、通常の意識活動を妨害する現象を観察し、前者のような心的内容の集合を、感情に色づけられた複合体とユングは名づけた。これを後には略して、コンプレックスと呼ぶようになったのである。〉

 ということで、前回に読んだ『無意識の構造』に引き続き、今回も河合隼雄によるユング心理学の入門書。当然、重複する内容も多いが、『無意識の構造』では心の構造や元型についての解説に比重が置かれていたのに対して、本書ではコンプレックスについての解説が中心となっている。
 本書では、コンプレックスは具体的にはどういった現象(=症状や行動など)となって表れるのか?そして、そのコンプレックスはどのようにして解消すればよいのか?…などについても、数多くの具体例とともに解説されているため、より強い関心を持って読むことができた。
 1971年の初版刊行から半世紀近く経っているが、ネット社会になった今だからこそ考えさせられることは多いし、何よりも自分自身を見つめ直すきっかけになると思う。

〈今日、自己実現の問題を重視しなければならぬ理由のひとつとして、外的世界の拡張の凄まじさをあげねばならない。今日の情報過多の状態は、あらゆる機会にわれわれのコンプレクッスに作用を及ぼす。「私」というものに対する強い確信がないとき、情報量の多さに比例して、その人は安定をゆすぶられる。はっきりと、自分の自己に根ざした道を歩んでない人は、危険である。〉

〈コンプレックスを拒否したり、回避したりすることなく、それとの対決を通じて、死と再生の体験をし、自我の力をだんだんと強めていくことが自己実現の過程なのである。強化された自我をもって、コンプレックスと対決し、それを同化すること。そして、その後に、元型との対決が行われることになる。〉

 人の心は意識と無意識という2つの領域からなり、全体としてバランスを保とうとする。だが、私たちに無意識の作用を完全に把握することはできない。そして、心が全体としてバランスを保てなくなった時、無意識から意識への信号のようなものとしてコンプレックスが現れる。
 同じような毎日を繰り返しているようでいても、人の心は様々な刺激にさらされており、常に揺らいでいるものだと思う。そして、その揺らぎがコンプレックスを生み出しているのならば、大切なのはコンプレックスと上手く付き合ってくことなのだろう。



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河合隼雄『無意識の構造』(2017-07-17)
河合隼雄『ファンタジーを読む』(2017-05-15)

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